日本|岡山|秀吉・官兵衛の奇策!水攻めの「備中高松城跡」

 小田原城の兵糧攻め、鳥取城の兵糧攻めと並び、城攻めのプロ秀吉の攻城戦として「備中高松城の水攻め」は有名です。今回岡山旅行の際に偶然見かけた「備中高松城跡」。ぜひとも見たくなりお邪魔しました。

 KOEIのシミュレーションゲーム「信長の野望」などでも登場する備中高松城。江戸時代の一国一城令により廃城になったそうで、いまは城郭や本丸はありません。ただ、名将清水宗治が5千の兵で秀吉軍3万をくいとめたと言われる堅守堅城。天然の要害なんだろうなと思っていたのに驚くほどの平らな土地。ここに木塀や土塁を用いて作られた平城だったとのこと・・・。ただしただの平らな土地ではなく、全体が沼地で騎馬や重装備の歩兵などが身動きが取れないような足場だったそうです。なるほど!

今も周囲は田んぼが広がる水気の多い台地。水攻めという作戦が実行された理由が分かってきました。

上写真に記載されている通り、備中高松城の北東部の台地には秀吉軍。足守川を挟んで南西部には毛利郡が陣取っていたそうです。この足守川を堰き止めて、備中松山城の周囲の沼地を水浸しにしてしまったんですね。3kmもの堰を12日で作り上げてしまったそうです・・・。

公園として整備された際に再現された沼地。なんと長い年を経て埋まっていた蓮の種から蓮が復活したそうです。季節が合わなかったので枯れていますが、この強く長く耐えてきた強い蓮に「宗治蓮」と名付けて大切にしているそうです。

本丸跡。本丸跡と言っても平らな低い場所ですが、そこには清水宗治公の首塚があります。名将で武士の鑑とも言われる清水宗治。

辞世の句「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」 はあまりにも有名。最後の最後まで毛利家に忠義を尽くし、秀吉、毛利の和平の条件として自刃を選んだ。水に囲まれた城から舟をこぎだし、船上で見事な舞を披露したあとに部下の介錯で見事な切腹を遂げたそうです。

その武士としての誇り、毛利家への忠義、そして見事な死にざまが、後世に影響を与えたらしい。すごい!

水攻め堰堤址の蛙ヶ鼻です。まさか秀吉が築いた堰が残っているとは驚きです。その高さや大きさが分かりました。備中高松城の水攻め。その城跡だけでなく、水攻め作戦の痕跡も見ることができて、非常に楽しむことができました。ぜひ戦国好きな方は訪問してみてください。

Posted by tetsuchippy