日本|岡山|吉備津彦命・温羅伝説に登場するストーンサークル「楯築遺跡」

 吉備津彦命が温羅との戦いに向けて築いた石楯の陣と伝わる「楯築遺跡(たてつきいせき)」。この遺跡は伝説そのままに盾形の巨石がならぶ異様な姿をしています。弥生時代後期最大級の古墳で、古墳の様式進化を知るうえで重要な遺跡であり、また古代日本(大和朝廷?)の支配エリアを知るうえで重要なポイントになるとも言われている国指定の史跡です。

 楯築遺跡は、昭和のころに造成された住宅街の中にあり、いまは王墓の丘史跡公園として整備されています。上写真が入口で、その脇に無料の駐車場があるので車で来るのが一番便利かもしれません。

この楯築遺跡の周辺には、60基もの古墳があるそうで、このエリアが古代吉地方で重要な土地であったことが分かります。現在の岡山市から倉敷市にかけて広がる平野は海であったことから、丘になっているこのあたりは瀬戸内海に面した非常に眺めの良いところだったのかもしれません。

 すべてが発掘されているのかどうかは分かりませんが、上写真のようにそこらじゅうに古代吉備の権力者たちの古墳が並んでいます。

 整備された道を5分ほど登ると、頂上が見えてきました。まず驚いたのは・・・バブル期につくられた団地用の巨大貯水タンクが・・・。バブル期の日本は、本当に金儲け中心だったんだろうなぁ。こんなに大切な遺跡よりも金を優先するご時世だったんでしょうね。本当に悲しい。貯水タンクの周辺で行った近年の発掘調査では貴重なものが複数見つかっているので、きっと貯水タンク建設で多くが壊されたことでしょう。この点は非常に残念。

 貯水タンクとその横に貯蔵庫があります。この中には国の重要文化財に指定されている「旋帯文石」と呼ばれる高い技術で見事な模様が掘られた石が保管されています。

国の重要文化財「旋帯文石」

いつもは大きな鍵がかかっていて、中に入ることはできませんが、横にある小さな小窓から中にある旋帯文石を見ることができます。

この石は、地元では「亀石」という名前で伝わっているそうですが、伝説の中では吉備津彦命を乗せて飛んだとも言われています。大正時代までこの地にあった楯築神社のご神体として伝わってきたそうです。

上写真は公園内にあった画像を撮影したものですが、石の正面には顔の形のようなものが彫られているそうです。古代日本の何か宗教的な意味合いがあるのでしょうか。埋葬された大王の霊を封印する為のものとも言われているそうです。

吉備津彦命が作った楯の陣。正にストーンサークル!

楯築遺跡の最大の見どころの環状列石!ストーンサークルです。ストーンサークルと言えばイギリスが有名ですが、縄文時代遺跡として国内にもいくつか残っているんですよ。何か世界共通の宗教観があるのでしょうか。

上写真左の祠が、楯築神社の名残だそうで、この中に旋帯文石がご神体の亀石として伝わっていたそうです。いまは鯉喰神社と合祀されたそうです。

 この楯築遺跡は、一時ホタテ型の古墳と考えられていたのですが、でっぱりがもう一つある双方中円墳であったことが分かっています。でっぱりの片方は団地造成で半壊しているそうです・・・。もったいない。

 この形式の古墳は非常に珍しく、他には瀬戸内海を挟んだ香川の猫塚古墳や奈良の櫛山古墳が有名。櫛山古墳は崇神天皇陵(行燈山古墳に近く、崇神天皇は吉備津彦命を吉備に派遣した天皇。だんだん吉備津彦命や温羅の伝説ともつながってきました。

 大和を中心とする大和政権とのつながりや、古墳の形がどのように進化してきたのかを調べるうえで大変重要な遺跡。しかもそれが桃太郎物語の原型と言われる、吉備津彦命や温羅伝説とも繋がる・・・。こんなに興味深い遺跡はなかなかありません!ぜひ皆さんも足を運んでください。

楯築遺跡の情報

住所: 岡山県倉敷市矢部

Posted by tetsuchippy