日本|岡山|桃太郎と吉備津彦命と温羅伝説の痕跡を求めて

 日本で一番有名な物語「桃太郎」。桃太郎が仲間の協力を得て悪い鬼を退治するという勧善懲悪の物語。なんとその桃太郎が古代日本に実在していた・・・・。桃太郎物語のモデルと考えられているのが「吉備津彦命と温羅の伝説」。 今回はその吉備津彦命をはじめとした古代の強国「吉備国」の痕跡を求めて岡山を旅行してきました。

吉備津彦命と温羅伝説のあらすじ

 様々な伝承が残っている吉備津彦命や温羅の伝説。今回は一般的な桃太郎伝説のもととなっている伝承を紹介します。

 第10代崇神天皇の時代、吉備の地に百済の王子「温羅(うら・うんら)」がやってきた。温羅は吉備冠者(きびかじゃ)と呼ばれ、背丈が4mもあり強靭な肉体で暴れまわり地元民に恐れられ、彼の居城は鬼ノ城(きのじょう)と呼ばれた。西国から大和地方への贈り物や貢物を奪うなど、温羅の悪行に困った人々は大和朝廷に討伐を願い出た。さっそくたくさんの武将が送り込まれたが、神出鬼没で変幻自在の温羅に打ち負かされた。そこで白羽の矢が立ったのが武勇に優れた五十狭斧彦命(いさせりひこのみこと、後の吉備津彦命)。

 このとき五十狭斧彦命の部下として加わっていたのが、犬(犬飼健(いぬかいたける))、猿(楽々森彦(ささもりひこ))、雉(留玉臣(とめたまおみ)) 。犬飼健は猟犬の飼育担当として朝廷に仕えていた一族、 楽々森彦は道案内や軍師として、留玉臣は長距離を飛ぶように移動することができたと言われています。

 五十狭斧彦命は大船団を率いて吉備へ向かい、地元漁民の案内で吉備の中山に到着。そこで団子が振る舞われて命は大変喜ばれた。これが吉備団子のもととなった。命は吉備の中山に陣を築き、片岡山に石の楯を築いた(楯築遺跡)。

  五十狭斧彦命が吉備の中山(吉備津神社)から放った矢は、鬼ノ城から温羅が投げた岩とぶつかって落ち(矢喰宮)なかなか勝負がつかない。そこで命は強い弓を使って2本同時に矢を放ったところ、1本は岩とぶつかって落ち、もう1本は温羅の左目に命中。温羅の左目から噴き出た血は川(血吸川)となり、河口まで真っ赤に染めた。

 大けがをした温羅は雉(きじ)になって空へ逃げたが命は鷹になって追いかける。すると温羅は鯉に化けて血吸川に逃げ込む。すると命は鵜に化けて鯉をつかまえた(鯉喰神社)温羅は命に吉備冠者の名を捧げ、五十狭斧彦命は吉備津彦命と改名した。

 温羅は首をはねられたが何年も大きな声で唸りつづけた。困った命は部下の犬飼健に命じて犬に喰わせたが骸骨になっても唸りつづける。そこで命は吉備津神社の御釜殿の土中に埋めたがまだ唸りつづける。すると命の夢枕に温羅が現れ「娘の阿曽姫に釜をたかせて欲しい。そうすればこれまでの悪行の償いとして釜を唸らせて吉兆を判断しよう」と言った。これが今も続く吉備津神社の鳴釜神事です。

 晩年、吉備津彦命は吉備の中山の中腹に茅葺宮を構えて281歳まで長生きした。現在、命は中山茶臼山古墳に祀られている。

 この温羅伝説。吉備津彦命(五十狭斧彦命)を桃太郎。温羅を鬼に入れ替えると、ほぼ桃太郎の物語。ただ、この物語には、実は・・・な裏話があるらしい。最も有力なのは、白村江の戦いで朝鮮半島から吉備国へ避難してきた百済の王子と名乗る温羅という人物が製鉄などの様々な新しい技術を持ち込んだ。吉備国は裕福になり、温羅は地元の人々に大人気となったが、大和朝廷は温羅と吉備国を恐れるようになる。そこで吉備津彦命を送り込み温羅を滅ぼした。それでは大和朝廷が悪者として伝わってしまうため、温羅を悪者、吉備津彦命を正義の味方として物語を創作し、現在に伝わっている・・・。実際はどうなんでしょうね。

温羅の居城「鬼ノ城」

 昔から鬼城山の上に遺跡のようなものがあると伝わっていて、温羅伝説に出てくる温羅の居城「鬼ノ城」跡ではないかと噂されていました。ただし、鬼ノ城は史書にいっさいの記述がなく謎のままとなっていました。しかし、近年の研究で本当に朝鮮式の山城遺跡であることが判明。本当に温羅の城跡なのではないかと大きな話題になりました。

 ただし研究が進むと、この城は7世紀頃の後半に築城されたものということが分かり、温羅伝説の時代とは異なっているようです。7世紀後半と言えば、天智天皇や天武天皇の時代。一説では天智天皇の時代の白村江の戦い(日本百済連合VS新羅唐連合)で敗れた日本(倭国)は、新羅や唐の侵略に備えて各地に城を築いた。その一つではないかと言われています。

 白村江の戦いで敗れた百済から多くの避難民が日本にやってきていたそうで、その勢力が様々な大陸の文化・技術力を吉備国に伝えたそうです。この土塁は土層を薄く固めて作られたもので、まさに朝鮮方式の築城技術なんだそうです。

 さらにはこの城跡近隣にはたたら場(製鉄場)跡も見つかっているそうです。この周辺には大量で良質な砂鉄があり、そこに大陸の製鉄技術が伝わることで、後世には「真金吹く吉備」という言葉も生まれるほどの製鉄産業が栄えました。

 鬼ノ城は岡山平野を一望できる非常に良い立地。戦国時代以前くらいまでは、この岡山から倉敷にかけての平野部は「吉備の内海」と呼ばれる海だったそうなので、眼下には広い海が広がっていたのでしょうか。鬼ノ城が「鬼ヶ島」に見えたのかもしれませんね。このあたりは大陸から大和へ向かう船が通過する場所なので、大陸からの侵略に対する重要な拠点だったそうですよ。

史書に記述もない中、こんな石積みを見たら「むかしこの山には鬼が住んどったんじゃー」とおじいちゃんに言われたら信じてしまいますよね。これがまず温羅伝説の鬼ノ城。桃太郎の鬼ヶ島の痕跡です。

 

桃太郎のモデルと言われる吉備津彦命を祀った吉備津神社

創建は不明の非常に古い歴史を持った神社で、その名の通り吉備津彦命を主神として祀っています。この神社の裏に広がる「吉備の中山」がご神体とされています。もともとは磐座信仰だったところに、神道が入ってきて吉備津神社になったのかもしれません。この吉備津神社にも、温羅伝説の痕跡がいくつか残っています。

まず、この入口にある大きな石。コケに覆われたこの石は「矢置石」と呼ばれ、吉備津彦命が温羅と戦っている最中に矢を置いた場所と言われています。

有名なのは、まずこの二つの屋根がくっついたような作りの本殿。非常に巨大な建物で、室町時代に作られたそうです。拝殿と合わせて国宝に指定されています。

写真ではなかなか伝わりませんが、非常に独特な雰囲気が漂っています。使われている太い木が、その時代のオーラを放っているんですよね。

この戦国時代に作られたと伝わる回廊も有名。なんと長さが400mもあるそうです。

つくりはシンプルですが、この単純さがきれいでかっこいい。横の石灯籠はなんか傾いていましたが、それすら趣を感じました。

自然の傾斜を利用した形をしていて、非常に綺麗でかっこいい回廊でした。

回廊のよこには鳴釜神事が行われる御釜殿があります。温羅伝説の中で、温羅の頭がい骨が埋められていると言われている場所。吉備津彦命への願い事が叶うのかどうかを、ガイコツとなった温羅が唸り声で教えてくれると伝わっていて、今も鳴釜神事として伝わっています。御釜殿の中は撮影禁止だったので、外からしか写真は撮影できませんでしたが入ることはできました。

中では写真のように釜に焚き木がくべられ、黙々と煙が出ていました。神主さんはいませんでしたが、神社関係者の方?でしょうか。非常に丁寧に質問にも答えてくれて、いろいろと勉強になりました。

釜の後ろには巨大なしゃもじがあって、これは安芸の宮島から譲り受けたものなんだそうです。

事前予約をすれば、実際に鳴釜神事を行ってくれるそうで、願い事を伝えると、人それぞれに違う音が聞こえるそうです。当たりか外れるかを教えてくれるのではないそうで、聞こえた音をどうとらえるかは、それを聞いた人が考えることだそうです。

吉備の中山中腹の中山茶臼山古墳

吉備の中山の中腹には岡山県古代吉備文化財センターがあって、岡山の古墳や弥生時代の器具などが展示されています。展示量は多いわけではありませんので、すぐに見学は終了できると思います。この文化センター近くに古墳へ向かう登山道があります。

登山道はいくつかあるのですが、私は文化財センター北側のタクシー会社敷地横の入り口から入りました。この長い一直線の階段を登ります。結構足はガクガクに。

古墳はきれいに整備されています。さすが天皇家一族だけあって、宮内庁管理の典型的な陵の形をしています。

このお墓は、桃太郎のモデルとなった「吉備津彦命」の陵と伝えられています。考霊天皇の皇子、大吉備津彦命の墓と記されています。この吉備の中山の周囲には、複数の古墳や磐座があるらしいので、大昔から聖なる山だったんでしょうね

宮内庁が管理する陵は、いつも同じですが、どこも綺麗に整備されていますね。ここに桃太郎が眠っているのかと思うと、なんか不思議な気がしますね。

日本のストーンサークル「楯築遺跡」

温羅伝説では、吉備津彦命が石の楯を立てて防御陣を造ったと言われる楯築遺跡。王墓の丘とも言われているこのエリアにはたくさんの古墳がありますが、その中でも特殊に独特な形状をしているのが楯築遺跡です。

日本のストーンサークルとも呼ばれるこの遺跡には、平べったい岩が円形に並べられています。この古墳はもともと円墳に小さな突出部がついたホタテ型の古墳と考えられていましたが、どうやらもう一つ突出部がある独特な形をしていたらしい。 世界遺産に指定された百舌鳥古墳群のような完成古墳の形に進化する前の古墳で、その変化の過程を考えるうえで重要なものらしい。 いまとなっては、バブル時代の造成で一部分が壊されてしまっていてもうわからないそうです。いろいろ理由はあるんだと思いますが、バブル時代は本当に日本の恥だなぁ・・・。日本の歴史をゆがめ、様々な美しい自然を壊し・・。

この列石群。まさにイギリスにあるストーンサークルと同じじゃないですか。しっかりときれいに残っていれば、世界的にも貴重なものになっていたでしょう。世界遺産級の遺跡なんですよね。実際には温羅伝説に出てくる石の楯ではなく、何か儀式のようなもので使われたものではないかと考えられているそうですが、古代の権力者のお墓なんだそうです。

この列石群の横に、神社という名がついた宝物殿があります。横の窓からのぞくと、珍しい模様が刻まれた石が保管されています。

弧帯文石(弧帯石)と呼ばれる石で、楯築神社のご神体でした。あの卑弥呼の墓と噂されている纏向古墳でも同様の模様を持った石が見つかっていて、この吉備国と卑弥呼の関係を示すものだとも言われている貴重な石。国指定の重要文化財です。

矢喰宮の巨石群

吉備津彦が矢を放った吉備津神社と、温羅が岩を投げた鬼ノ城の中間地点にある矢喰宮。

この鳥居の右側に複数あるのが矢喰い岩と呼ばれる岩たち。どれかわかりませんでしたが、生えている竹はその矢が刺さったものと伝わっているそうです。

野焼きのあとだった血吸川

矢喰宮のすぐ西側を流れている細い川が血吸川。鬼ノ城のふもとから海まで流れている川で、矢が刺さった温羅が鯉に化けて逃げ込んだ川。上流での製鉄の影響で赤い色をしていたのではないかと考えられているそうです。

温羅が吉備津彦命に捕えられた場所「鯉喰神社」

手負いの温羅が鯉に姿を変えて血吸川に逃げ込み、それを鵜に化けた吉備津彦命が咥えあげたと言われています。その場所がこの鯉喰神社。

吉備津神社と同じような斜めになった回廊。

どうやらこの神社も、その昔は古墳だったようなので、きっと古代の権力者のお墓だったんでしょうね。

いかがでしたか?吉備津彦命や温羅伝説の足跡を追いかける旅。歴史では習わない古代の事実の痕跡が見える、他にはない非常に興味深い遺跡群。吉備国の重要性、古代の強国だったことがよく分かる面白い旅行でした。

Posted by tetsuchippy