日本|奈良|卑弥呼のお墓候補と言われる「箸墓古墳」

  中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する倭国の女王「卑弥呼」。鬼道を操り国を治めたと伝わっています。しかしこの「卑弥呼」という呼称は古事記や日本書紀には出てこないため、卑弥呼の正体は謎のベールに包まれています。今回は、その卑弥呼のお墓候補ともいわれる「箸墓古墳」を訪れてみました。

 魏志倭人伝の中では(おそらく)西暦239年に邪馬台国の卑弥呼の使者が貢物を持って訪れたと書かれています。西暦239年頃の女王であることは分かりますが、実は日本の歴史書である日本書紀の中には神功皇后=卑弥呼と示すような一文があるそうです。ただ、その前後の物語や内容上、一致しないことも多いそうで、他の説を唱える人が多くなってきています。

宮内庁はこの箸墓古墳を「 倭途途日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ) 」という第7代天皇考霊天皇の皇女と伝わる人物の墓と認定しています。卑弥呼のお墓とは書かれていませんが、邪馬台国畿内説の中の一つの説として、 倭途途日百襲姫こそが卑弥呼ではないかと言われているのです。

宮内庁管理らしく、しっかりと礼拝する場所が作られています。古墳は非常に大きく、長辺が238mもあり、纏向遺跡群の中心的存在。この場所からはこんもりとした山にしか見えませんが、鍵穴型の前方後円墳です。

少しずつ研究は進んでいるようですが、卑弥呼とは時代が異なるのでは?とか、様々な新しい情報も出てきています。ただ皇族関係の墓になるため、通常は立ち入り禁止。日本の古代史を進めるためにも、できれば研究の門戸を開放してほしいです。

  倭途途日百襲姫は、崇神天皇の巫女的な存在だったとも言われていて、伝承で伝わる「巫女の卑弥呼を弟1人が支えた」という伝承と一致するのではとか、魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の墓のサイズと一致するとか・・・。

ただ、 倭途途日百襲姫に関する伝説の中は結構強烈で、姫は三輪山の神「大物主」の妻と言われています。

倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となったものの、神は昼中には現れず、夜のみあらわれる日が続いた。倭迹迹姫命は、夫に「昼間にいらっしゃってください。その素晴らしいお姿を見たい」と言ったところ、神は美しい蛇の姿で昼間に現れた。姫の驚く姿に恥じた神は三輪山に帰ってしまい、姫は強く後悔する。後悔して泣き崩れた時に箸が陰部を突き破り亡くなってしまった。人々は姫を大市(地名)に葬り箸墓と読んだ・・・。

これがこの箸墓古墳の名前ともなっている三輪山伝説です。

このように神と結婚したような巫女的性格を備えた姫だったからこそ、卑弥呼と同一視されているのかもしれません。これからも箸墓古墳の研究が進むのを楽しみにしています!