日本|長野|諏訪地方に残る縄文時代の痕跡さがし

2019年9月3日

 狩猟や木の実の採取し縄で付けた模様の土器を使って生活する縄文時代の日本に、稲作農耕文化を中心とする大陸文化が伝わり弥生時代に移り変わっていった・・・。このような縄文文化と弥生文化の入れ替わりを社会で学んできました。

 西側から広がった稲作文化は九州から山陰などを経由して近畿、北陸に。北陸からは東北に伝わり、そこから南下して関東、そして諏訪などの中部エリアに広がったんだそうです。あまり知られていませんが、諏訪地方の縄文勢力は非常に頑強に弥生時代を拒み続け、日本で最も遅くまで縄文生活が続いていたエリアだったんだそうですよ。

縄文勢力の中心だった諏訪地方

古代日本の遺跡と言えば、吉野ケ里遺跡(佐賀県)とか三内丸山遺跡(青森県)が有名ですが、縄文時代の遺跡が最も多く見つかっているのは諏訪エリアであることをご存知でしょうか?なかでも縄文土器が多数発掘された茅野市にある有名な尖石遺跡(とがりいしいせき)を訪問してみました。

 尖石遺跡は、戦前から知られている代表的な縄文遺跡で、様々な縄文時代の遺物が見つかっています。いまは公園としてきれいに整備されています。

 不思議な名前の遺跡ですが、これは「とがりいしさま」と呼ばれる石。信仰対象とされていたこの石(上写真)が名前の由来となっているそうです。

茅野市尖石縄文考古館。土偶好きや縄文好きにとって絶対にはずすことができない有名な博物館。大人気の2体の国宝土偶が大切に保管されています。

  一つ目は通称「縄文のビーナス」と呼ばれる上写真の土偶。1986年に茅野市の棚畑遺跡でほぼ完全な状態で発掘された珍しい土偶で、1995年に国宝に指定されています。縄文時代中期(約5000年前)と考えられていて、妊婦さんをイメージできるようなフォルムであることから、子孫繁栄などを祈願した?のではないかと予想されているそうです。この妊婦さんであるにしても、見事に人間っぽさを残しながらも、でもなんか可愛らしくディフォルメ化されているあたりが、縄文人の重要なアイデンティティーなのかもしれませんね。

 2つめは通称「仮面の女神」。西暦2000年、まだ結構最近に発掘された新しい土偶で、 茅野市の中ッ原遺跡から出土したほぼ完存する仮面土偶です。今から約4000年前の縄文時代後期の前半に作られたものだそうです。昔の服装なのか、入れ墨なのか。ヘソがあるから裸なのかな?そして独特の三角形の仮面。4000年前の文化、装飾がそのまま見えるようです。こちらも2014年に国宝に指定されています。

蛇体把手付土器。尖石遺跡で多く見つかっているタイプの土器です。使用目的はいまだ不明ですが、諏訪地方の縄文文化では「蛇」が大切にされていたと考えられています。

ではなぜ、この八ヶ岳山麓で日本で最も数多くの縄文遺跡が見つかるのでしょうか?その理由は縄文時代の最高級武器材料の一つ「黒曜石」の産地だったから。マグマが急速に冷えた際に作られる自然のガラスで、割れた時の断面が鋭利で、高性能な刃物、矢じりを造る際に必須だったんだそうです。

この八ヶ岳周辺でとれた黒曜石が、北は北海道、南は奈良の遺跡でも見つかっているそうで、縄文時代にも非常に広大な交易エリアが存在していたことの証明になっているそうです。

黒曜石の産地として、縄文文化の中心地として諏訪が栄えていたことが想像できます。

タケミナカタの入諏物語とともにやってきた弥生文化

 最強縄文文化の諏訪エリアにどのように弥生文化が入っていったのか。それは、古事記の中や、諏訪に残る伝説の中に痕跡が残っているようです。

 古事記に登場するタケミナカタの神話。天津神タケミカヅチとの戦いに敗れた国津神タケミナカタが諏訪まで逃げのび、そこで諏訪に定住することを条件に、タケミカヅチと和解したという話。続いて諏訪エリアに残る別の神話。諏訪に入ってきたタケミナカタは、諏訪エリアを治めていた「洩矢神(もりやがみ)」と争うことになります。結果タケミナカタが勝利。洩矢神はタケミナカタの仲間になって諏訪を治めることになった・・・。タケミナカタは諏訪の大明神に。洩矢神は諏訪大社の神長官になった。っていうストーリーだそうです。縄文文化の代表的存在だった諏訪勢力(洩矢神)が、戦いの末なのか、交渉した末なのかは分かりませんが、稲作文化を持つ出雲勢力(タケミナカタ)を受け入れたという歴史を反映しているのかもしれません。

 タケミナカタとその仲間たちを祀っている諏訪大社

諏訪大社は 二社四宮の体制をとっている珍しい神社。上社として本宮と前宮。下社として春宮と秋宮があります。中でも最も長い歴史を持つのが上社の前宮と言われています。

諏訪大社発祥の地と言われる「諏訪大社上社前宮」

ここは4つある社の中でも最初の社と言われています。明治の宗教統制で様々な儀式が禁止されたそうですが、それまでは独特な儀式が数多く行われていたと言われる神社。しかも出雲大社などと並んで神長官(神主さんのトップ)の歴史が古く、なんと初代から明治時代まで76代目も続いたそうです。76代目神長官は守矢実久さん。その先祖は洩矢神(もりやがみ)という、タケミナカタが来る前に諏訪エリアを治めていた土着の神様。

 きっと日本最強の縄文文化を誇っていた諏訪の「洩矢神」一族。タケミナカタは戦いで勝ち破っただけでなく、仲間にすることを選んだんじゃないかなと想像してしまいます。

 4つある諏訪大社の中で最も歴史が深いと言われている前宮。上写真は前宮の本殿。不思議なもんで、なんか清涼な感じを受けました。なんか神域特有な感じというか、大切にされている場所特有というか。

そしてほかの神社で絶対に見ることができない特有な御柱。あの有名な奇祭「御柱祭り」で使われた柱。これが神社の四方にたてられています。7年に1度の奇祭で、16本の大木が斬り倒され、あの有名な木落としのあとに4社の四方にたてられています。この柱の本当の意味、目的はいまだに不明ですが、縄文時代の名残として残っているのではないかとも言われています。

ここは諏訪大社上社本宮。

こちらは非常に長い木造廊下。太い柱がずらりと並ぶ独特なつくりです。独特な珍しい歴史を持った建物であることが分かります。

本殿。朝早くにお邪魔したのですが、ちょうど神主さんがお仕事中でした。

諏訪大社に祀られているタケミナカタと、アマテラスに遣わされたタケミカヅチが初めて相撲をしたと言われる神話があるからでしょうか。見事な土俵がありました。

歴史ある神社には、その歴史に見合った巨木、古木が必ずありますよね。木の大きさでその神社の歴史がよくわかるくらい。ここ本宮にも見事な巨木。生命を感じます。

こちらは諏訪大社下社秋宮。この竜が吐いているのは、熱々の温泉です。この下社秋宮の近くにはたくさんの温泉が湧いていて、公衆浴場もいっぱいあるんですよ。

まるで出雲大社のような巨大なしめ縄。しめ縄作るだけでも大変そうですよね。飾るのはもっと大変そう。

下社はこの諏訪出身の建築の天才「立川和四郎」の建築らしいですよ。地元の方が作った地元の宝っていいですね。

こちらは春宮の目の前にある、昔の橋の残り。道路のど真ん中に堂々と鎮座しています。昔はここの下川が流れていたんでしょうね。

こちらは下社春宮。秋宮と非常によく似たつくりの建築になっています。というかほぼ同じ?

でも四方に柱が立っているのはどこも同じこの御柱祭りで使われる柱が何を意味するのかは、実は今となっては分からないらしい・・・。結界を張るためとか・・・。山の神を鎮めるとか・・・。でもこの原始的なお祭りは、おそらく縄文時代の縄文文化から続く、弥生時代を受け入れた諏訪の中に残り続けた縄文文化の名残なのではと言われているそうです・・・。

 明治時代に廃止されたけど、そこまで76代も続いた守矢一族。タケミナカタと戦ったと言われる洩矢神。そしてその時代から続くお祭りの御柱祭り。そのほかにもミシャグジなど、謎めいた興味がいっぱい。

諏訪に残る縄文文化の痕跡さがしの旅。いかがだったでしょうか?!

いかがでしたか?諏訪に残る縄文時代の痕跡